
父の日なので親父との思い出話を一つ。これは自分の親父に「おめえ、誰だ」って言われた話だが、別に親父はボケちゃいなかった。むしろまだまだキレッキレの冴えた獣感を出していて、おれが高校生の頃だった。そしてただの笑い話として聞いてくれるとありがたい。
親父の気配がすると弟が自分の部屋に隠れる。ばったり廊下で正面衝突した日には「おい、かかってきてみろ」と曇りガラスの眼鏡を光らす。「家に獣がいるみたいですね」と弟は小さい声でつぶやいた。年子の弟は親父に対して物心ついてから高校に入っても敬語だった。なのでたまにおれに話しかけるときにもうっかり敬語になってしまう。一般家庭的にはわりと奇妙なんだろうな、と人事のようにおれは思っていたし、おれは正直親父をそこまで怖いとは思っていなかった。親父の謎の威圧感は、ほとんどギャグだろとさえ思っていた。
まあそんなわけで親父と顔を合わすのを恐れて弟が子供部屋に引っ込んできた。年頃の兄弟が世間話をするわけでもなく一緒にいるのもモゾモゾするので、おれはなんとなく茶の間に出向き冷蔵庫でも物色しようと子供部屋の引き戸を開けた。
そこに親父が立っていた。そして目があった気がした、曇りガラスの眼鏡の向こう。おれはとっさに「あ、なんか用ですか(敬語)」と親子らしからぬ発言をした。
あれ、親父、黙ってるけど。おれは続けた。
「ゆう(弟)になんか用だった?」
、、、、。
「おめえ、ゆう、か?」と、親父。全く文脈がかみ合っていない。言っておくが親父はノー・ドラッグだ。
「いやいや、おれだって」
ちょっと吹き出したおれに向かって親父は言った。
「いや、おめえ、誰だ」。
親父の時空が歪んでるのか。おれが次元上昇してるのか。どっちにしろ面白すぎる。明日絶対友達にこの話をしようと心に決めた。
「家の中に他人がいるわけねーべな、おれ栄純だって」
その言葉で親父の表情が和らいだ。
「栄純か。ゆうだと思ったわ。久しぶりに見たから」。
遠い親戚かよ。十年に一度しか合わないタイプの。一緒に住んでっぺ、われわれ。
「ゆうのやつ、さっき見かけたらすげーデカくなってたぞ、知ってたか。」
遠い親戚かよ。
「いやー、子供ってちょっと見ねえうちにデカくなるんだなあ、ガハハハ」と笑いながら奥の部屋へ引っ込んでいった。
そーっと子供部屋の引き戸が開いて弟が顔を出した。もちろん今のやりとりは聞こえていて、あり得なすぎて爆笑だった。おれはといえばホクホクで、友達に話すネタもできたし親父の笑い声を初めて聞いたのも嬉しかった。変な親父で酒ばっかり飲んでると思ってたけどちゃんと働いてたからおれたち飯が食えて家があったわけで。ありがとう。おれら元気で生きてるので心配しなくていいです。してないと思うけど。酒でも飲んで待っててください。
動画でも語りました。